音楽教師は考える:::音楽の役割   中林 彰

このところ世の中全てが簡単になりつつあるようだ。食事ひとつとっても、レンジでチンすればほとんど何でもお手軽に食卓に並ぶ。包丁まな板は必要無くハサミさえあれば食べていける。全国チェーンのファミレスは勿論、それなりのレストランや料理店までもが冷凍食品のお世話になっていて素人やアルバイトが厨房に立つ時代である。大工さんの仕事ぶりを見てもプラモデルを作っているかのようで、もう現代では、熟練した職人はいりませんという勢いである。

しかしこのような世の流れに反して、毎日めんどうくさいことを繰り返し反復して一つの完成品を仕上げようとする奇特な人達もいる。まさに今日ここに集まって日頃の練習成果を披露しようとするみなさんは、間違いなく社会の流れに逆らっている。初めは誰でも音符の丸も書けないしドレミも読めない。ピアノの右手と左手が別のパートを弾き始めたり、右手の弓がしなやかに動き同時に左指が音階を駆け上がるようになるには気の遠くなるような熟練と鍛錬が必要である。鍛錬と言えばスポーツの得意な分野であるが音楽はさらにプラス、心と感性を結びつけなければならない。演奏することは感性と心と体をつなぎ、なおかつそれを磨きに磨いていく創造的作業の連続である。

ほんの二三十年前には私達の回りには土がありそこには花や雑草も生えミミズもバッタも一緒に暮らす環境があった。しかし今では土はアスファルトに覆われ、自然を求める為に車で出かけることが普通のことになってしまった。そんな時代、子供達の感性はどこで養っていけるのだろう。鳥の鳴き声、草の匂い、泥の感触、野いちごの味、うろこ雲の形、夕焼けの色、以前はそれら全部が子供達の最高の先生だった。

そんな「自然という先生」の代わりには到底なりえないが、音楽を教える私たちは、子供達の感性と心と体をつないでいくことを今日も飽く事無く続けている。

世の中アルバイトばかりになってしまいマニュアルでしか動けない者に占領されたのではいずれ社会は破綻する。チェーン店のレストランの味を決める人もいなくなってしまったならそのお店はどうなるのだろう。誰かが創造的な役割を担わなければ国も世界も地球も滅んでいく。今日ここで美しい旋律や躍動するリズムを演奏するみなさんは将来、音楽以外の分野でも創造的な仕事をこなしていけるのではないか、と、決しておおげさではなく断言できる。Nスタジオにこれからもそのお手伝いをさせていただきたいと思います。